第2講

主張を主張で主張する

第2講 C-7 この『第2講』では、主に2つのことについて記してきた。1つは「知は言葉に集約される」であり、もう1つは「「言葉」を「知る」」過程についてである。 「知は言葉に集約される」では、言葉を説明するためには、言葉が必要であることを大前提…

細々とした雑記、多少

先週と先々週について まず、事の経緯を説明する必要がある。 先々週、別のブログにて記事を投稿してしまい、先週それに気づくことができず、新たな記事を書くことができなかった。 誰一人として困るものはいないのだが、調子が狂うとはこういうことを言うの…

具体と抽象から抽象度

第2講 C-5 前々回から話している「既知の説明文を集約する未知の言葉を知ったとき」が飛躍し、「言葉」の派生について説明をしていた。前回の後半を端的に言えば、抽象度の高い「言葉」は具象化される「言葉」を内在し、具象化された「言葉」は抽象度を高く…

言葉の具体化と抽象化の考

第2講 C-4 前回の終わりに、「次回は一端まとめに入る」としたが、前回の具体例をもう少し提示する。 前回、「既知の説明文を集約する未知の言葉を知ったとき」について「叉手」という言葉を導きながら説明した。しかし、これは何も辞典や辞書に掲載されて…

既知を集約する未知の言葉

第2講 C‐3 今回は、「言葉を知る」具体的方法の3つ目である「既知の説明文を集約する未知の言葉を知ったとき」について説明する。例によって例を挙げよう。 蛇足だが、その例を20分程度探していた。ようやっと見つけた。 例えば、「彼は両手の指と指を組…

既知の言葉の未知の意味

第2講 C-2 前回の続きである。「言葉を知る」具体的方法の2つ目は、「既知の言葉の新しい意味を知ったとき」である。例として「都合」を挙げる。この言葉の意味を調べると、物事に影響を及ぼす事情、具合の良し悪し、やりくりすること、と記されている。こ…

去年と今年の架け橋に

いままでを振り返る 昨年9月13日、十九歳を機に記事の投稿が始まった。9月の記事1つを除いて、ここに記述されている内容は、専ら「言葉について」である。人間は「言葉」を発見し、活かしたことで「言葉を持つ」生命体になり得た。これは紛うことなき事実…

結論に達し得ない結論

第2講 S-13 前回、ともすれば不毛とも受け取れる話をしていた。前回の内容を纏めるならば、前回のタイトルである『言葉を言葉で集約する』となる。当然これも例外なく、前回の話と一致する。つまり、言葉の集積物を言葉によって纏めている、ということだ。 …

言葉を言葉で集約する

第2講 S-12 前回、「明日」という言葉を辞典で調べつつ、言葉の不確かさ、欠陥を指摘した。そして、「言葉」以外で「言葉」を理解している、という主張がなされた。 そもそも「言葉」を発見する以前から、人間は「物質」を見てきた。当然、「言葉」より先に…

辞典には欠陥がある

第2講 S-11 前回の内容理解を深めるために、「知は言葉に集約される」についてさらに説明を加える。学校、とくに小学校(初等教育)と中学校・高等学校(中等教育)では、教科・科目によって定まった教育がなされる。提示した以上、学校や教育について深く…

知は言葉に集約される

第2講 S-10 ようやく『第2講』に進んだ。前回述べたように、ここでは「言葉」と「知」とを連関させて思索をする。結論から言えば「知は言葉に集約される」である。 そもそも「知」とは何であろうか。「知る」つまり「しる」は、感覚としてなんとなく分かる…