人間が作ったものは存在しない

現状

ありがたいことに、「読者になる」が「2」となった

しかし、このありがたいという感情も無条件に良いとは言えない

それは「ぶれる」からである

思索、手法、内容、これらが「ぶれる」のはとても危うい

これらがたとえ変化しても、一貫性は必要である

変化したのに一貫性があるのは、矛盾ではないか

こう思うだろう

だが、今は深入りすることなく、文言だけに留めておく

 

第1講 S-5

 前回、「人と人間の違い」の説明を終えた。ところで、最初の主張を覚えているだろうか。『第1講 S-1』で次のように記した。「言葉とは人間のみに与えられたものである」と。この一文の解釈をしているのだが、今回からは「作ったものと与えられたものの線引き」について明らかにする。

 端的に言おう、「人間が作ったものは存在しない」。人間が作ったものは、「発明」と呼ばれることがしばしばあり、かのエジソンは「発明王」としてもその名が通っている。しかし、「人間が作ったものは存在しない」ため、エジソンは「発明王」ではなく、正確には「発見王」と言うべきなのだ。ここでも「発明」と「発見」の違いを示すべきだが、今回は書かないこと容赦願いたい。ではなぜ、「人間が作ったものは存在しない」のか。

 これはとても難解であるが、「全ては既に在る」の一言に集約できる。この先は次回以降にしよう。

 

特記

今回は今月最後の記事である

何と言うべきか、遅速がはっきりしない