言葉を言葉で集約する

第2講 S-12

 前回、「明日」という言葉を辞典で調べつつ、言葉の不確かさ、欠陥を指摘した。そして、「言葉」以外で「言葉」を理解している、という主張がなされた。

 そもそも「言葉」を発見する以前から、人間は「物質」を見てきた。当然、「言葉」より先に「物質」が存在しているのだ。この手の話は紀元前から議論がなされており、既に出来上がっているような思想である。そして、これらもまた「言葉」によって集約されている。具体的にその思想の「言葉」を提示しても、まったく分からない「言葉」であるためしないでおく。

 この「言葉」による集約の事例として「本」を挙げる。世の中には様々な「本」、或いは名称が似ている「書物」「書籍」など「書」もそうであるが、それらには「タイトル」が付されている。「タイトル」はその「本」が如何なる「本」であるかを、端的にかつ明確に示している。「広辞苑」とあれば辞典だと分かるし、「日本史概説」とあれば日本史について書かれている「本」だと分かる。実はこれは、「言葉」それぞれにも同様のことが言えるのだ。「原動機の動力によって車輪を回転させ、レールや架線を用いないで路上を走る車」、これはもちろん「自動車」である。単に「車」と言う人もいるかもしれないが、これは誤りだ。とはいえ、「自動車」ことを一々このように言う人はいない。それは、「自動車」の意味が共通認識として存在しているからである。