年度末にしばしの考え

第3講 C-12

 前回の後半で、「言葉」を買うことについて記した。一方で、実際は「言葉」を買っているわけではないと示し、この二重構造が不安定なものであるとまとめた。

 本を買う、新聞を買う。いずれも「言葉」のみが印刷されているわけではないが、大半は「言葉」が印字されている。この「言葉」を見るには、読むには、買う必要があるのだ。前回も記したが、実際には「言葉」を買っているのではなく、物語や参考物、あるいは世の中の情報を買っている。しかし、これがテレビやネットの界隈ではどうだろうか。文字に注目すれば、ネットニュースの記事、小説を書くサイトの小説、この記事もしかりだが、買う必要はほとんどない。たしかに、一部有料の面はあるが、それでも大体の内容は買うことなく読むことができる。

 そもそも「買う」という行為は、「逆換金」だ。換金は、「物などを売って現金に換えること」だが、「買う」、購入することは、「現金などを売って物に換えること」と言える。売買は、支払い分の対価が見合うか否かが全てだ。これは、本や新聞においても同じである。

 

特記

 主張がはっきりしないまま終わらせてしまった。今月の記事は、これが最後になる。

 ここで一点、今後について考えたい。

 何を記事にすべきか。来月から、新たなことをしようと考えている。これが長期に渡るので、これについて書くか、あるいは、日々の徒然を書くか。まだ判然としないでいる。