事々は遅々として着々

第1講 D-1

 一週間が経過したが、進展はほとんどない。ひとつ挙げるならば、郵便物が届いたことである。これが来たのは、4月7日木曜日、このために申し込みをしたのは、先週、4月1日金曜日のことである。ちょうど一週間だ。長いのか、短いのか、見当はつかない。

 これの読者が1人いるか否かの現状で、何を書き記しても影響が微塵しかない。微塵だけでも「ある」ことが奇跡的だといえる。つまり、何が言いたのか。それは、情報をどこまでここに書き残してよいのか、ということだ。

 前回、前々回から、何をしているのか、何をしようとしているのか、その根本的な部分については全くと言ってよいほど伏せてある。無論、隠そうとしているわけではなく、素直に、分からないままでいるというのが正確なところだ。

 しかしながら、ただ思考をそのまま文章化し、まとまりのない「言葉」の集まりを公開するわけにはいかない。それは、昨年度まで記してきた「言葉とは何か」で触れた「言葉」の意義を逸脱する行いだからである。そのため、真価は分からずとも、価値ある「言葉」を残すべきなのだ。

 さて、郵便物が今月7日に届いた。次やるべきことは、この郵便物を読み、必要事項を記入してポストに投函する。以上だ。

 

事あるごとに事がでる

 なぜ、『第4講』ではないのか。それは、年度が替わったからである。ただそれだけだ。ちなみに、「D-1」の方は、昨年度からの通し番号である。