形容しがたい日々の中

第6講 C-13

 自力で講を改めることができなかった。新年度という時間の流れによって、今回から『第6講』となる。講が新しくなっても今まで通りの内容を取り、一週間を振り返りながら文字を連ねていく。

 先に結論を出すと今週も売買をしなかった。

○記録(3月27日-31日)

売買なし

週間結果 なし   3か月間の合計 ▼89,700円

保有株式 銘柄数1、株数1,000、損益合計△46,000円

○評価

 決算跨ぎをした。決算そのものは思わしくない内容であったが、翌日に株価は上昇した。なるほど、結局は大口なのか、と。前回、「結局のところ思惑と過熱感なのか」と記したが、これの元をたどれば、思惑と過熱感の発生源をたどれば大口なのであろう。また、大口と機関は異なる。個人でも大口になり得る存在がいるからだ。つまりは資金力である。これら集団あるいは個人と如何に対峙するか、一つの見方になるであろう。

 2週間売買をしなかったのにはそれなりの理由がある。現在保有している株式を過信しない程度に信用していて、かつ、中長期の場合の心理状態を探るためだ。

 目標は明確、目標までの道のりも見えている。ならば為すのみであろう。

サプライズ

 素直に言うとあり得ないことが起きた。7か月ぶりに「はてなスター」が付いたのはとても嬉しいことである。しかし、なぜ。なぜ、かほさんが『あるのはあるいはある』に「はてなスター」を付けてくれたのかが分からない。

 まずは、『常自語』を見つけてくれたことに感謝。数少ない、はっきり言えば1人いるかいないかのブログを発見し、一読してくれたことを示してもらった。有難いことだ。

 次に、かほさんの印象。このようなことを勝手に綴るのは如何なものか、とも思うが書く。温かななにかを感じた。旅行が趣味であると伝わってくる記事内容からは、旅行以上の旅をしているように思える。それは、旅先に赴くことで自己を見つめているような、あるいは、自己を深めているような、そんな感覚を得るのだ。

 そして、ブログ。気づいた。ブログとはつながりであると。対面したことのない人々が、言葉を介して出来事や思いを共有する。共感はできなくとも、共有はできる。しかも、これは境界をなくす。なるほど、これがブログなのか。

 最後に、勝手に名を挙げていることご容赦ください。