社会主義の対義語とは
第15講 H-5
前回の内容について社会主義的な向きがあると思う人もいるだろう。しかし、違う。そもそも、資本主義と社会主義を対置させることが間違いなのである。
さまざまな主義主張が混在する社会で主義主張を分類するもっとも端的で分かりやすい方法は、対義語を要することだ。例えば、無の対義語には有があり、明るいの対義語には暗いがある。このように対極にあるそれぞれの名称によって物事を分類あるいは区切ることは、日常的であり何かを学習する上でも必須の取り組みである。主義主張においても例外ではない。
資本主義と社会主義。両者のそれぞれの定義づけはしないでおく。定義については、読み手が認知、認識しているものでよい。おそらく、前々回に取り上げた2種類の定義のうち、辞書的な意味、一般的、抽象的な意味においては、たいてい一致しているだろう。各人が今まで生きてきた中でそれを知っているからだ。
資本主義の対義語については議論の余地がある。一方で、社会主義の対義語は個人主義である。この点でいえば、日本は社会主義的であろう。個人主義の代表格にある国はアメリカだ。説明不足が過ぎるが、この「社会主義↔個人主義」の対義語の関係はゆるぎない。では、資本主義の対義語は何か。ひとつには共産主義がある。だが、共産主義の具体的なことは知り得ていない。
再度、示しておく。資本主義と社会主義は対義語や対極としてあるものではない。資本主義の対義語として想定されるもののひとつは、共産主義である。そして、社会主義の対義語は個人主義である。