国家イコール資本の形

第16講 H-6

 先週は失念してしまった。そのため、今回は2本書くことにする。とはいえ、決して内容の量が多くなり、質が高まるわけではない。単純に、駄文を増やすだけである。前回は、資本主義と社会主義が対義語として扱われることに疑義を呈し、資本主義の対義語は定まらないとしたものの、社会主義の対義語は個人主義であると提示した。

 では、なぜ社会主義の対義語は個人主義なのか。社会主義は、共産主義と同様であると見なされることが多いが、厳密に言えばこの両者は異なる主義・主張を持っている。社会主義で謡われることは、主に平等かつ公平な社会である。自由競争や私利私欲を排し、国家に属する人々全員が公正に社会福祉を享受できる社会を目指していたのが、社会主義だ。この主義では、土地や生産物などの一切は国家に属するものであり、これを国民に平等に分配することで、格差のない公平な社会を作ろうとした。では、ここには資本がないのかとなれば、それは違う。すべての資本は国家に属している。つまり、国家=資本であり、資本=国家の等式が成り立つのだ。国家に属する人、つまり国民全員にとって平等かつ公平な社会、これの裏返しが個人主義社会である。

 個人主義の具体的な内容は次にする。