去年と今年の架け橋に

いままでを振り返る

 昨年9月13日、十九歳を機に記事の投稿が始まった。9月の記事1つを除いて、ここに記述されている内容は、専ら「言葉について」である。人間は「言葉」を発見し、活かしたことで「言葉を持つ」生命体になり得た。これは紛うことなき事実である。しかし、当たり前ゆえに見落としている。「言葉の真価」を認知していれば、「言葉」の重みが自ずと理解できる。だが、今の人間の多くはそれが出来ていないのだ。そのため、「言葉とは何か」を明言することで、「言葉の真価」を認知してもらう。これが、『常自語』の目的の1つである。

 文章の拙さ、内容の不十分さは重々理解している。それでも、読者が一人でもいるならば、必ず書き続ける。

第2講 C-1

 今回は、いままでの『第2講』を復習する。『第2講』の主題は「知は言葉に集約される」であり、「言葉」とは何かについて例を挙げつつ簡単に記した。さらに、「言葉」を「知る」具体的手段となる辞書を用いる方法では、欠陥があることを示した。そのため、「「言葉」を「知る」」過程についての説明に進んだのが前回までの内容である。

 では「「言葉」を「知る」」、その具体的方法は何か。それは、前回3つ提示したものだ。うち1つは既知のものとして認識されるだろう。次回からは、残り2つの「既知の言葉の新しい意味を知ったとき」と「既知の説明文を集約する未知の言葉を知ったとき」を詳しく説明する。