2024-01-01から1年間の記事一覧
第16講 H-10 先週は書くことができなかった。というよりも失念していた。これはさておき、今回で5年目になる。もうそんなにも続けていたのかと多少の感慨を得る一方、ほとんどの人に読まれることのない文章を細々と書いていることに複雑な思いもある。そし…
第16講 H-9 前々回までのことを振り返ろう。資本主義の対義語は社会主義であるとする現在の考え方を一転させ、社会主義の対義語を個人主義と捉え、資本主義の対義語を共産主義だとして一応の断定をした。 現在、多くの国家は資本主義国家である。つまり、資…
第16講 H-8 今回は休息をいただく。
第16講 H-7 本日、2本目である。1本目では社会主義の基本的な形、理念について話した。そして、社会主義では国家=資本の等式が成り立ち、これによって社会主義の対義語が資本主義ではないと暗示した。断面のみを細かく記しているため、全体を見通すには程…
第16講 H-6 先週は失念してしまった。そのため、今回は2本書くことにする。とはいえ、決して内容の量が多くなり、質が高まるわけではない。単純に、駄文を増やすだけである。前回は、資本主義と社会主義が対義語として扱われることに疑義を呈し、資本主義の…
第15講 H-5 前回の内容について社会主義的な向きがあると思う人もいるだろう。しかし、違う。そもそも、資本主義と社会主義を対置させることが間違いなのである。 さまざまな主義主張が混在する社会で主義主張を分類するもっとも端的で分かりやすい方法は、…
第15講 H-4 ここしばらくはBについて書いてきた。しかし、今回は少し視点を変えて、現代社会について考えてみる。現代社会の多くは資本主義である。資本とは貨幣や土地、国家権力のことだ。国家権力がなぜ資本なのか。それは、貨幣や土地などの価値を定めて…
第15講 H-3 Bの存在を明らかにしたが、Bの内容についてはまったく触れていない。それにはいくつか理由がある。その中でも、定義の難しさが多くを占める。定義には2種類ある。ひとつは、辞典や事典にかかれている一般的、抽象的な意味である。日常で使われ…
第15講 H-2 次なる主義あるいは社会とは、どのようなものなのだろうか。内容を説明する前に、内容が定義される前に名称を決めることは、本来は避ける必要があるだろう。しかし、説明をすることについて、何かしら呼称する場合がある。そのため、次なる主義あ…
第15講 H-1 前回、生きることについての必要かつ十分な条件を提示した。その上で、資本や権力に忌避して、これらがまがい物であると述べた。今回は、資本や権力、ひいては資本主義について少しばかり書いていこう。 結論、資本主義には限界がある。しかし、…
第15講 D-13 生きることに必要で十分な条件は4つである。衣食住、そして健康。 以前にも書いた覚えがある。しかし、何度でも言うほどに重要なことなのだ。極端な寒暖をしのぐ衣服、生命を維持する食事、安眠ができる住居、この衣食住に加えて健康的な身心が…
第14講 D-12 7月に入り気温が一気に上昇した。もはやこの環境は以上ではなく、夏の日常になるのだろうか。少しばかりの危惧とともに、次のように思う。 この環境を生み出したのは、まぎれもなく人類である、と。人々の底知れない欲望が欲望を増加させ、気温…
第14講 D-11 前回、思想について語る前提を話した。それでは、思想の何を語ろうとしていたのか、それを忘れてしまったのだ。ならば今回は、何を語ろうとしていたのかを考えることにする。先に結論に類することを示しておく。きっと、生き方か考え方を捉えよ…
第14講 D-10 今までほとんど思想について書いてこなかった。さて、思想とは何であろうか。この問い方はあらゆることに当てはまる。例えば、文学とは何か、哲学とは何か、科学とは何か、政治とは何か、存在とは何か、時間とは何か、もはやあらゆる事柄につい…
第14講 D-9 久しくして、久しくして前回の記事にスターが付いた。意図は計りかねるが、有難い限りである。かろうじて一方通行ではないと感じさせるリアクションに、僅かながらの期待を持ってしまうものだ。では、期待とは何であろうか。 期待とは、裏切りで…
第14講 D-8 アイデアは、考えている時や何かと向き合っている時ではなく、脳を使っていない時や呆けている時によいものが浮かぶ。アイデアとは、まず言葉に変換される。どのような事象を浮かべようとも、それらははじめに言葉として脳内に表出されるのである…
第14講 D-7 今回は、先週の答えを示す。 1、生きることに「なぜ」はない。あえて言うならば、生きるために生きている。 2、今日は生きていた。 2に関しては、このような質問がなされるだろう。では、何をしていたのか、と。例えば、一日中寝ていた、動画…
第14講 D-6 2つ問う。 1、なぜ生きているのか。 2、今日は何をしたのか。
第14講 D-5 おかしい。これはおかしい。先週の記事がない。しかし、書いた記憶も定かでない。ここから分かることは、先週は書かずにいたということであろう。では、先週の土曜日は何をしていたのか。これさえも分からずにいる今、何を手掛かりに先週書いてい…
第13講 D-4 前回の話の続きを書こう。現代社会には無駄が多すぎる。その最たるものは、人々の欲求である。欲求には際限がない。際限がないために求め続けてしまうし、際限がないことに気づかない人も数多いる。無駄が多いのである。 中身の無いことを書いて…
第13講 D-3 今回は間隙とするか、本題を進めるか。間隙の方の話をするとそれ以降の議論は意味をなさなくなるかもしれない。この本意は、実際の話を聞くまでは分からないだろうが、もう一つ論点となるのは、意味が必要か否かについてである。乗り気でないこと…
第13講 D-2 先週は2つの記事を投稿した、らしい。ここで「らしい」という表現は正しくないように見えるが、どこか第三者目線になっているため、あながち間違いではない。 前回の最後に、同じ服を2着用意することはメリットが大きい、と記した。これは、外…
第13講 D-1 本日、2つ目である。1つ目の方は間隙として、収束と発散の一考を示した。内容としては、収束と発散という数学では馴染み深い用語を社会に用い、社会がいずれは収束するというものである。議論の浅さは認識している。そのため、提言程度の内容だ…
第13講 C-13 先週は所用があって書くことができなかったため、今週は2つ書くことにする。とはいえ、何か特別なことをするわけでも、議論が進展しやすくなるわけでもない。 世の中は複雑になってしまい、収拾がつかないほどに広がってしまった。ほとんど内容…
第13講 C-12 前回か、前々回から服についての話をしていた。服の機能には、身体を守ることや所属を示すことなどがあると説明したが、その中で、儀礼や儀式をしていることを示す機能があることも提示した。 日本の文化の1つに、ケの日とハレの日がある。ケの…
第13講 C-11 前回は、衣食住のうちの衣、つまり、衣服や衣類の話をはじめた。その中で、ファッションや流行について考えていた。 流行に乗ってモノを買う。それは、モノという物質を買っているのではなく、そのモノに付与された情報を買っているのだ、と記し…
第13講 C-10 食や食事に関する話を数回に渡って取り上げているが、この話題になったのは「最低限を最大限に生きる」ことの中での1つであった。「つまり、生きる基本となる衣食住に加え、睡眠にのみ時間を使うこと」が、最低限を最大限に生きるための生活で…
第13講 C-9 前々回から食に向き合うことについて書いている。作る時間に対して食べる時間は僅かしかなく、その僅かな時間でさえ今を生きる人々は惜しいと思っている。ゆえに、食に向き合うことをしない。今回は少しばかりアプローチを変えてみよう。 なぜ、…
第13講 C-8 3月に入った。今年になって2か月が経った。今年のおよそ六分の一が終わった。ほとんど類似のことを提示したが、感じかたはそれぞれ異なるだろう。例えば、3月に入ったことは、暦の上ではなく体感としての春の訪れを想像するし、2か月が経った…
第12講 C-7 いつ以来だろうか、金曜日にこれを書いている。今日は天皇誕生日で祝日のため、時間が取れているのだろう。 前回は、最低限を最大限に生きる事例として食事を取り上げ、その時間的な見方を説明していた。今回は、これの続きである。 人は、さらに…