2024-01-01から1年間の記事一覧

アパレルと社会的問題

第13講 D-2 先週は2つの記事を投稿した、らしい。ここで「らしい」という表現は正しくないように見えるが、どこか第三者目線になっているため、あながち間違いではない。 前回の最後に、同じ服を2着用意することはメリットが大きい、と記した。これは、外…

服を選ぶ手間を考える

第13講 D-1 本日、2つ目である。1つ目の方は間隙として、収束と発散の一考を示した。内容としては、収束と発散という数学では馴染み深い用語を社会に用い、社会がいずれは収束するというものである。議論の浅さは認識している。そのため、提言程度の内容だ…

収束と発散の社会事例

第13講 C-13 先週は所用があって書くことができなかったため、今週は2つ書くことにする。とはいえ、何か特別なことをするわけでも、議論が進展しやすくなるわけでもない。 世の中は複雑になってしまい、収拾がつかないほどに広がってしまった。ほとんど内容…

服は何着あれば足りる

第13講 C-12 前回か、前々回から服についての話をしていた。服の機能には、身体を守ることや所属を示すことなどがあると説明したが、その中で、儀礼や儀式をしていることを示す機能があることも提示した。 日本の文化の1つに、ケの日とハレの日がある。ケの…

衣服の機能は幾つある

第13講 C-11 前回は、衣食住のうちの衣、つまり、衣服や衣類の話をはじめた。その中で、ファッションや流行について考えていた。 流行に乗ってモノを買う。それは、モノという物質を買っているのではなく、そのモノに付与された情報を買っているのだ、と記し…

流行とはやりと流行り

第13講 C-10 食や食事に関する話を数回に渡って取り上げているが、この話題になったのは「最低限を最大限に生きる」ことの中での1つであった。「つまり、生きる基本となる衣食住に加え、睡眠にのみ時間を使うこと」が、最低限を最大限に生きるための生活で…

なかなか進まない日常

第13講 C-9 前々回から食に向き合うことについて書いている。作る時間に対して食べる時間は僅かしかなく、その僅かな時間でさえ今を生きる人々は惜しいと思っている。ゆえに、食に向き合うことをしない。今回は少しばかりアプローチを変えてみよう。 なぜ、…

食事と向き合う必然性

第13講 C-8 3月に入った。今年になって2か月が経った。今年のおよそ六分の一が終わった。ほとんど類似のことを提示したが、感じかたはそれぞれ異なるだろう。例えば、3月に入ったことは、暦の上ではなく体感としての春の訪れを想像するし、2か月が経った…

時間がないようである

第12講 C-7 いつ以来だろうか、金曜日にこれを書いている。今日は天皇誕生日で祝日のため、時間が取れているのだろう。 前回は、最低限を最大限に生きる事例として食事を取り上げ、その時間的な見方を説明していた。今回は、これの続きである。 人は、さらに…

時間があるようでない

第12講 C-6 思考の深化。普通の生活をする上では必要のない、余計な思考。最低限を最大限に生きる術。それは認識である。物事を知り、本質や意義などを理解し、これを日常に還元する。生きる術のどこに「思考の深化」が生まれるのだろうか。 最低限を最大限…

重要かつありきたりな

第12講 C-5 日々を繰り返す。これを日常という。前回も日常について記したが、やはり考えることは、日常が如何に重要かつありきたりなのかである。重要かつありきたり、この矛盾するような表現は、無矛盾でもある。 重要、何かのことにつけ、事情や状況がさ…

日常と非日常の境目に

第12講 C-4 日常は繰り返しであり変化に乏しい。しかし、この日常があるからこそ非日常があるのだ。非日常に何を思うかは人それぞれだが、たいていは日常にはない体験や経験を得ることが多いだろう。日常に対して非日常という言葉を用いているのだから、これ…

今があると過去がある

第12講 C-3 前回と前々回の議論からは、一度、離れる。 時は事後。事後というからには何かしらの「事」があったはずである。「事」についてさまざまに想像することはできるが、ここでは、その人にとっての良いと思える非日常を過ごした時、としよう。もう少…

気力と能力の不足実感

第12講 C-2 前回、「人々は本来、何もしなくてよい」という考えのもと、その理由を挙げつつ論を展開した。理由として個人の問題と社会の問題を提示したが、今回は社会の問題に焦点を当てる。 いまの社会は、動き続けれなければならなくなっている。常に新し…

望むもの望まれるもの

第12講 C-1 人々は本来、何もしなくてよい。私事をここに記すことはしたくないのだが、あまりにも明らめたことがあったので少しばかり書いておく。 人々は本来、何もしなくてよい。衣食住が最低限そろった環境、健康的な身体、この2つがあれば充分である。…

新年に一応のあいさつ

第12講 S-13 新年になった。今回においては、この一言で伝えたいことがすべて含まれている。新年になると、「明けまして」からはじまるお祝いの言葉があるが、どうもこれには目を背けてしまう。新年になったことが、年を越したことが、必ずしもお祝い事であ…