新年に一応のあいさつ

第12講 S-13

 新年になった。今回においては、この一言で伝えたいことがすべて含まれている。新年になると、「明けまして」からはじまるお祝いの言葉があるが、どうもこれには目を背けてしまう。新年になったことが、年を越したことが、必ずしもお祝い事であるとは限らないし、むしろ、望まない年越しを迎えた人もいるからである。これは勝手な推論かもしれないが、このような人が一定数いることは確かであろう。

 しかし、多くの人にとっては、新年はお祝い事であり、喜ばしいことである。そのような日にも惨劇は起こる。否、お祝い事、喜ばしい日であるゆえに、惨劇の凄まじさは日常のそれとはまた異なる。詳しいことは不要であろうか。元日、2日と年末になっても印象に残る、今年の10大ニュースに入るような出来事が起きた。起きてしまった。そして、この10大ニュースに入るようなという表現は、一種の願望でもある。これ以上の惨事は起こらないでほしい、という不確定要素で満たされている未来に対して。

 さて、今年はどのような一年になるであろうか。分からない故に怖くもあり、分からない故に面白くもある。先々のことは先々として、とりあえず、一日一日を生きる。これ以上に難しく、これ以上に当たり前のことはない。

 今年もよろしくお願いします。