する必要のない多量の

第13講 D-3

 今回は間隙とするか、本題を進めるか。間隙の方の話をするとそれ以降の議論は意味をなさなくなるかもしれない。この本意は、実際の話を聞くまでは分からないだろうが、もう一つ論点となるのは、意味が必要か否かについてである。乗り気でないことをするのはできるだけ避けたい。今回は間隙としよう。

 いつ気づいたのか、今日の朝だったか、昨日の夜だったか。時間軸は忘れてしまったが、言葉ははっきりと覚えている。「人生には、やるべき少しのこととやる必要のない多くのことがある」、この一文が忽然として浮かんだ。少し語調を整えよう。「人生には、すべき少量のこととする必要のない多量のことがある」、どうだろうか。本当に少ししか変えていないが、先程よりも的を射ている、より分かりやすい文章になったように見える。では、解説をする。

 やるべき少量のこととは、生きるために最低限必要なことである。健康体を保つための食事、睡眠、運動。この議論は、いままで続けてきた健康と衣食住の話に連関する。おそらくこの3つをするだけであれば、一日は12時間あれば充分であろう。睡眠に8時間程度、運動に1時間程度、食事は準備や片付けも含めて3食で3時間程度と仮定している。たいていの人にとってはこの仮定ですら余りある時間をもつだろう。一日の半分は自由な時間となる。しかし、実際にはそうはならいな。これら睡眠、食事、運動をこなすためには、労働が必須となる。現代社会、いや、現代の経済社会においては。

 つまり、やるべき少量のためにやる必要のない多量のことが発生するのである。