なかなか進まない日常

第13講 C-9

 前々回から食に向き合うことについて書いている。作る時間に対して食べる時間は僅かしかなく、その僅かな時間でさえ今を生きる人々は惜しいと思っている。ゆえに、食に向き合うことをしない。今回は少しばかりアプローチを変えてみよう。

 なぜ、向き合うことをしないのか。それは、時間がないからである。いな、時間はある。時間はあるものの、その時間を他のことに使いたいと思い、実際に他のことに使っている。例えばそれを、生きる他のための行為とそれ以外に分類する。生きる他のための行為とは、睡眠であり、衣食住を確保するための賃金を得る行為である。それ以外の行為とは、言葉の通り「それ以外」なのだが、何も例示がないと分かりにくいため、挙げると、娯楽や遊戯などがある。具体的にいえば、テレビを見たり、ゲームをしたり、動画を見たりがこれに当たる。ここで注意すべきは、これらの娯楽や遊戯を否定しているわけではないということだ。

 娯楽は必要である。遊ぶことも必要である。しかし、これらの行為によって、食をないがしろにしてはならない。食が無ければ、娯楽も遊ぶこともできないのだから。つまりは、食に向き合う、食べることに向き合う、この時間を持つことである。