何をしようどうしよう

第13講 D-4 前回の話の続きを書こう。現代社会には無駄が多すぎる。その最たるものは、人々の欲求である。欲求には際限がない。際限がないために求め続けてしまうし、際限がないことに気づかない人も数多いる。無駄が多いのである。 中身の無いことを書いて…

する必要のない多量の

第13講 D-3 今回は間隙とするか、本題を進めるか。間隙の方の話をするとそれ以降の議論は意味をなさなくなるかもしれない。この本意は、実際の話を聞くまでは分からないだろうが、もう一つ論点となるのは、意味が必要か否かについてである。乗り気でないこと…

アパレルと社会的問題

第13講 D-2 先週は2つの記事を投稿した、らしい。ここで「らしい」という表現は正しくないように見えるが、どこか第三者目線になっているため、あながち間違いではない。 前回の最後に、同じ服を2着用意することはメリットが大きい、と記した。これは、外…

服を選ぶ手間を考える

第13講 D-1 本日、2つ目である。1つ目の方は間隙として、収束と発散の一考を示した。内容としては、収束と発散という数学では馴染み深い用語を社会に用い、社会がいずれは収束するというものである。議論の浅さは認識している。そのため、提言程度の内容だ…

収束と発散の社会事例

第13講 C-13 先週は所用があって書くことができなかったため、今週は2つ書くことにする。とはいえ、何か特別なことをするわけでも、議論が進展しやすくなるわけでもない。 世の中は複雑になってしまい、収拾がつかないほどに広がってしまった。ほとんど内容…

服は何着あれば足りる

第13講 C-12 前回か、前々回から服についての話をしていた。服の機能には、身体を守ることや所属を示すことなどがあると説明したが、その中で、儀礼や儀式をしていることを示す機能があることも提示した。 日本の文化の1つに、ケの日とハレの日がある。ケの…

衣服の機能は幾つある

第13講 C-11 前回は、衣食住のうちの衣、つまり、衣服や衣類の話をはじめた。その中で、ファッションや流行について考えていた。 流行に乗ってモノを買う。それは、モノという物質を買っているのではなく、そのモノに付与された情報を買っているのだ、と記し…

流行とはやりと流行り

第13講 C-10 食や食事に関する話を数回に渡って取り上げているが、この話題になったのは「最低限を最大限に生きる」ことの中での1つであった。「つまり、生きる基本となる衣食住に加え、睡眠にのみ時間を使うこと」が、最低限を最大限に生きるための生活で…

なかなか進まない日常

第13講 C-9 前々回から食に向き合うことについて書いている。作る時間に対して食べる時間は僅かしかなく、その僅かな時間でさえ今を生きる人々は惜しいと思っている。ゆえに、食に向き合うことをしない。今回は少しばかりアプローチを変えてみよう。 なぜ、…

食事と向き合う必然性

第13講 C-8 3月に入った。今年になって2か月が経った。今年のおよそ六分の一が終わった。ほとんど類似のことを提示したが、感じかたはそれぞれ異なるだろう。例えば、3月に入ったことは、暦の上ではなく体感としての春の訪れを想像するし、2か月が経った…

時間がないようである

第12講 C-7 いつ以来だろうか、金曜日にこれを書いている。今日は天皇誕生日で祝日のため、時間が取れているのだろう。 前回は、最低限を最大限に生きる事例として食事を取り上げ、その時間的な見方を説明していた。今回は、これの続きである。 人は、さらに…

時間があるようでない

第12講 C-6 思考の深化。普通の生活をする上では必要のない、余計な思考。最低限を最大限に生きる術。それは認識である。物事を知り、本質や意義などを理解し、これを日常に還元する。生きる術のどこに「思考の深化」が生まれるのだろうか。 最低限を最大限…

重要かつありきたりな

第12講 C-5 日々を繰り返す。これを日常という。前回も日常について記したが、やはり考えることは、日常が如何に重要かつありきたりなのかである。重要かつありきたり、この矛盾するような表現は、無矛盾でもある。 重要、何かのことにつけ、事情や状況がさ…

日常と非日常の境目に

第12講 C-4 日常は繰り返しであり変化に乏しい。しかし、この日常があるからこそ非日常があるのだ。非日常に何を思うかは人それぞれだが、たいていは日常にはない体験や経験を得ることが多いだろう。日常に対して非日常という言葉を用いているのだから、これ…

今があると過去がある

第12講 C-3 前回と前々回の議論からは、一度、離れる。 時は事後。事後というからには何かしらの「事」があったはずである。「事」についてさまざまに想像することはできるが、ここでは、その人にとっての良いと思える非日常を過ごした時、としよう。もう少…

気力と能力の不足実感

第12講 C-2 前回、「人々は本来、何もしなくてよい」という考えのもと、その理由を挙げつつ論を展開した。理由として個人の問題と社会の問題を提示したが、今回は社会の問題に焦点を当てる。 いまの社会は、動き続けれなければならなくなっている。常に新し…

望むもの望まれるもの

第12講 C-1 人々は本来、何もしなくてよい。私事をここに記すことはしたくないのだが、あまりにも明らめたことがあったので少しばかり書いておく。 人々は本来、何もしなくてよい。衣食住が最低限そろった環境、健康的な身体、この2つがあれば充分である。…

新年に一応のあいさつ

第12講 S-13 新年になった。今回においては、この一言で伝えたいことがすべて含まれている。新年になると、「明けまして」からはじまるお祝いの言葉があるが、どうもこれには目を背けてしまう。新年になったことが、年を越したことが、必ずしもお祝い事であ…

つごもりおおつごもり

第11講 S-12 数字が一つずれている。これは致し方ないことなのか、それともどこかで間違えているのか。もはや、どちらでも、なんでもよいであろう。これは、放擲ではない。語彙力の欠如というべきか、多少の表現力しか持ち合わせていないと、文章にする量も…

生命は受け身からなる

第11講 S-11 生み出されたものと消えゆくもの。この対比の一文から始まると、これについて書かれるのだと感じるが、そんなことはない。ここで注目したのは、「生み出される」である。 受け身になってはならない、受け身ではなく能動的であるべきだ、などと言…

時間の流れは一定では

第11講 S-10 時間の流れは一定ではない。そもそも、「時間」という「概念」自体が、「人間」が生み出した「存在」である。意図がはっきりしない鍵括弧で言葉を囲っているが、単語に付された鍵括弧には、二つの性質がある。 一つは、何かから引用した場合であ…

待つことなくあるなし

第11講 S-9 分かっている。そのことが無駄であることを。知っている。そのことが無益なことも。しかし、それをしている。堕落へ進んでいるのである。「律せよ」とまでは言わないが、せめて、為すべきことを為す努力はすべきであろう。 一日は刻々と進み、気…

広大な海にふたつの星

第11講 S-8 前の記事にスターが付いていた。いつ以来だろう、まったく思い出せないほどに昔であることは分かる。ほとんど一方通行の中で、このようにしてリアクションがあることはとても有難いことである。 さて、スターを付けてくれた方を、そのブログにあ…

色々あるさ色々とある

第11講 S-7 何かを変えるべきだろうか。そもそも、これに方向性などないのだから変えようがない。まずは、何を書き記すのかを明らかにする必要があろう。 今年も残り1か月半を切っている。どんな一年間だったろうか、と回顧するにはまだ早いのかもしれない…

ただつらつらと連ねる

第11講 S-6 またこうして、忘却している。何を忘れていたのかは、これである。 休日になると、自室に独りでいると、ふと思う。世界はたった一人の人間に干渉することはない。同時に、一人の人間が世界に干渉することはできない。端的に言えば、人がどうなろ…

堕落ゆえの結果でない

第11講 S-5 先週は、今年度でもっとも御多用な土曜日であったと思う。それゆえ、と言い訳がましくはあるが、書くことができなかった。そんな時はたいてい、翌日の日曜日に書いたのだが、土曜日に引き続き日曜日においても、「今年度でもっとも御多用な」日…

何であろうかこの感覚

第10講 S-4 完全に失念していた。解せないにもほどがある。これは言いすぎか。ここで一つ、発想してみよう。 ご多用に過ごしていたゆえに忘れたとは言えないだろうか。例えば、今日である。今日は特に予定がない、さらにいえば外的な要因での時間の縛りがな…

中身と外身とその狭間

第10講 S-3 文章を書く。これがなんたることか、むつかしい。出来事や場面、思考や主張、脳内で作り上げたものを言葉に変換して出力する。なんたる難しさか。 ただ駄弁を連ねるだけならば、ほとんど延々と書くことができるだろう。しかし、だれかに読ませる…

世界の観測者の一側面

第10講 S-2 10月に入り早くも2週間が経ようとしている。 何がしたいのか、何を為したいのか、どうありたいのか、こんなことを時々問う。 答えは分かっているのだ、しかし、それをここに書くことはできない。 なぜなら、それは今の行いを否定することになる…

再び課題と時間の経過

第10講 S-1 3年目にして「第10講」までになった。今まで書いてきたことを大まかに確認すると、はじめは「言葉と言語」の議論をおこない、つぎに「株式投資」の記録をするよになった。現在は、停滞期のような間隙のような傾向で、つらつらと、ではなく、だら…