重要かつありきたりな

第12講 C-5

 日々を繰り返す。これを日常という。前回も日常について記したが、やはり考えることは、日常が如何に重要かつありきたりなのかである。重要かつありきたり、この矛盾するような表現は、無矛盾でもある。

 重要、何かのことにつけ、事情や状況がさまざまあれども、この一語はよく耳にする。そして、これは大抵、たいして重要ではない時にも用いられる。一種のあおりというものか。重要は、真に重要な時にのみ使用される言葉であり、ここで記している重要も、当然、真に重要なのだ。

 ありきたりは、毎度のこと、今回も同じ、そんな思いを抱かせる。加えて、変化に乏しく、極端にいえば無味乾燥なニュアンスを含むこともあろう。ただ、ありきたりがありきたりであるためには、そのことを感じさせないことが必要だ。つまり、ありきたりだな、と思われたら、それはありきたりではなくなる。なぜなら、ありきたりの一語は、その存在すら忘却している時に表出できるからである。

 重要かつありきたり、それが日常であるならば、日常とは何なのだろうか。はじめに、「日々を繰り返す」と書いた以上、日常は日々を繰り返すことには違いない。ただ、ここで思考を留めてはいけない。もっと先に、論を展開することによって、日常をより深く知ることができる。

 しかし、その展開ができないのも事実である。