時間があるようでない

第12講 C-6

 思考の深化。普通の生活をする上では必要のない、余計な思考。最低限を最大限に生きる術。それは認識である。物事を知り、本質や意義などを理解し、これを日常に還元する。生きる術のどこに「思考の深化」が生まれるのだろうか。

 最低限を最大限に生きる。この表現は以前にもしたような気がする。最低限というのは、生きるための最低限である。つまり、生きる基本となる衣食住に加え、睡眠にのみ時間を使うことだ。現代では、とりわけ食が疎かになっている。ゆとりのない食事の時間、これは食べることのみならず、作ることにおいても言えることである。料理を手短に済ませる。これ自体は何も悪いことではないし、可能であればそうしたいと思うのも事実だろう。ただ、短時間で調理を済ませる理由が、時間がないことである場合、考え直す必要がある。時間に迫られて食事の時間、つまり作る時間と食べる時間が取れなくなる。現代における環境の弊害と言えよう。では、食べることについてはどうか。

 食事をする時間はある。しかし、食事に向き合う時間はない。食べている時も、目前にある食べ物ではなく、別のことに目を向け、それに頭を回らしている。向き合っているようで向き合っていしないし、時間があるようで時間がない。ひいては、食べているようで食べていないのである。

 この議論の続きは、次回にしよう。