日常と非日常の境目に

第12講 C-4

 日常は繰り返しであり変化に乏しい。しかし、この日常があるからこそ非日常があるのだ。非日常に何を思うかは人それぞれだが、たいていは日常にはない体験や経験を得ることが多いだろう。日常に対して非日常という言葉を用いているのだから、これは当たり前のことかもしれない。しかし、言葉の上での、定義上の解釈をしなくとも、実感として分かると思う。ありきたりの日常、いつも通りの日常、それらの日常は、「ありきたり」とか「いつも通り」などといった形容をしようがしまいが、「日常」の一言で完結しているし、何ら不足はない。

 日常も非日常も人によってその内容は異なる。外食が日常という人もいれば、非日常という人もいる。旅行が日常という人もいれば、非日常という人もいる。また、日常と非日常の境目の一つである、頻度の捉え方も人それぞれである。月に1回であれば日常という人もいるし、毎週でないと日常ではないという人もいる。

 つまり、個々人による日常と非日常があり、その内容や頻度も各人によって多種多様なのだ。これは、共有されることかもしれないし、共有できないことかもしれない。しかし、そのような日常と非日常が個々人にあることは、共有できることだろう。

 そして最後に、日常と非日常が決壊するとき、人はその頻度や内容を拡大する傾向にある。この事実は、充分に知っておくべきだ。