情報に次ぐ情報の収集

第1講 D-7

 何もせずとも日は進む。このように書いたものの、実際に何もしていないわけではない。生きている以上、日常があり日々があるのだ。その中で、株式投資に関することをしているのである。この一週間、株は買わなかった。では何をしたのか。それは、ある種の学習であろう。

 前回に別項目として記述した「知識と情報」を、この一週間、分からないながらも収集していた。前々回に「チャート」と呼ばれるものについて少し述べたが、どうやら「板」と呼ばれるものもあるらしい。さらに、「歩み値」と呼ばれるものもあるという。つまりは、主要な指標が3つあるということだ。このそれぞれの内容は、案の定、省くとして、今週の成果をまとめるとしよう。

 前述の通り、今週は売買を一切行っていないし、買ってもないのに売れるわけがないので、そもそも「買ってない」これだけで充分な結論だ。

 売買をする方法については未だ知りえないが、売買をする参考として「板」が重要になり、また、「歩み値」によって売買がどのように、どのくらい行われているのかを知ることができる。「チャート」においても1分単位の記録が見れるが、こちらは週単位や月単位といった中長期的な指標もある。これらが、今週、学習したことであり、今週の成果である。

 未だ本格的な行動をしていないことが、焦れったいというか、擬かしいというか、そんな感覚だが、これからである。進むことなのだ。

読まれずとも書き記す

第1講 D-6

 さて、前回の記事に記した通り8日に入金をした。一方で、10日に何かしらの銘柄を買うと書いたが、これは達成されなかった。またも、原因を探ることはしない。もしかすると、これをしない故に同じような過ちを繰り返しているのだろう。しかし、記事の最大の目的は「記録」にある。結果重視で文章を綴ることが一貫した意思である。

 入金したのはよいとして、それが幾らなのか。きっと、その金額が一番の関心事になるだろう。記すべきか否か。多分に迷うところである。結論は、現状は保留としておこう。そのため、具体的金額については伏せておく。とはいえ、アバウトに記すならば「そこそこ」の金額と言える。

 

情報はどこから

 何をするにしても、知識と情報が必要である。知識と情報はどのように違うのか。私見を言うならば、情報が昇華すると知識になる。つまり、知識は情報よりも高度であり洗練されている、ということだ。

 株式に関する情報源は数多ある。ネット、新聞に大別されるが、ここで3つを取り上げよう。日本取引所グループ、各証券会社のツール、新聞の3つだ。他にも、ブログやサイトなど様々あるが、すべての情報源に手を出すことは不可能である。しかし、絞りすぎることも危険が大きい。ある程度の信頼性があり扱える範囲での情報量、これを勘案すると、この3つの情報源で今のところは事足りると考えている。この考え方がどんな結果になるかは、未知だ。

未だに準備段階らしい

第1講 D-5

 またも、またも進展がなかった。これは、意志の弱さであろうか。原因を探るのも重要だが、ここは一つ、今後の予定を示すとしよう。

 明日、入金する。10日、何かしらの銘柄を買う。以上だ。

 今回、書くべきことが実質これしかないので、この先どうすべきか悩む。無駄に言葉を生み出しても益がなく、一方で、この分量で仕上げてしまうのも勿体なく思う。そのため、株式投資について記す。

 

現状の認知

 今、株式投資について知っていることを挙げる。

 まず、利益の出し方である。これには3つあるらしい。キャピタルゲイン、配当、株主優待の3つだ。このそれぞれの意味については、ここでは触れない。

 この3つを類別すると、キャピタルゲイン、配当と株主優待になるであろう。

 前者のキャピタルゲインは短期的な見方、後者の2つは中長期的な見方だといえる。

 次に、株価を示す表である。チャートと呼ばれるそれには、情報が詰め込まれているらしい。始値、高値、安値、終値が示されていて、これを四本値と呼ぶそうだ。

 これの見方やら、特徴やらは理解していない。

 

 今、思いつく株式投資についての事柄は以上だ。主に2つであった。1つは利益について、もう1つはチャートについてである。

 如何にも初心者らしく感じる。誰でも最初から知っている人はいない。学習を繰り返し、知識にしたり技能にしたりできるのが人間だ。その記録という意味で、これが存在する。

平行線は知らず知らず

第1講 D-4

 この一週間、大きな変化が起こらなかった。否、起こせなかったと言うべきだろう。「サイト」への初ログイン後、何をするでもなく日々は過ぎ去っていった。昨日、証券会社への入金を試みたのだが、少しばかり手間がかかってしまい、今日に持ち越すことにした。しかし、今日はなんと「サイト」のメンテナンスがあり、ログインすら行えない。このメンテナンスは、昨日の時点で分かっていた、知っていた。それなのに、このことに思い至らなかったのは、考え不足だと判断する他ない。つまりは、この一週間、大きな変化がなかった、ということである。

 

学問の認知

 多くの人が既知であろうが、学問には大きく3つの系統がある。「人文科学系」「社会科学系」「自然科学系」の3つだ。だが、これらに当てはまらない学問もあるため、実際には「その他」を含めた4つとするのが妥当である。今回は、細かな「言葉」の定義づけや学問系統の細分化などはしない。これをすると、「そもそも学問とは」という疑義が発せられるからだ。

 ここで言わんとしていることは、昨年度に取り組んだ「言葉とは何か」は「人文科学系」であり、今年度より取り組む「株式投資」は「社会科学系」である、ということだ。「株式投資」を学問とみなすかは、甚だ疑問であるが、ここでは社会科学の一部と考えておく。この学問系統で分かる転換は、一見何でもないようであるが、実は大きな変化なのだ。

大きな転換を獲得する

第1講 D-3

 早速、前回の続きを話す。封筒をポストに投函したのが今月の11日のことだった。今回は、その後である。

 17日に封筒が簡易書留で届いた。勿論、これに関する郵送物である。内容物は、1枚の用紙と冊子が2つ、それだけだった。その中でもっとも重要なのは、用紙だ。ここには「ID」と「パスワード」が記されている。封筒が届いたその日、つまり17日にホームページでログインしてもよかったのだが、この日は別件で忙しく、それは叶わなかった。それと、敢えてしなかった、と言ってもよい。

 初めてログインしたのは、22日のことだ。昨日である。ログインしたホームページのことをこれからは、「サイト」と呼ぶことにする。サイトをざっと眺めたが、正直なところ分かることは少ない。複雑そうにも、簡単そうにも思えるという、両面の感覚を持っていた。今週は、かなり大きく進展した気もするが、ようやくスタートと言えよう。

 

本題は何か

 幾度も言うが、これを読んでいる人は少ない。しかし、言うべきことは言わなければならない。言うべきこととは、「今月から、今年度から、何を記事にしているのか」である。それは、「株式投資」だ。

 ホームページとは、証券会社のものであるし、ログインというのも、証券会社のログインページでのことである。「サイト」も言わずもがなだ。

 これが誰かの指南になるのかは分からないが、記録するという名目で記事を書いていく。

あるかなきかの通過点

第1講 D-2

 またも一週間が経過したが、またも進展はほとんどない。前回、明記した通りのことをした。つまり、今月7日に届いた郵便物を精読し、書類に必要事項を記入して、その書類を封筒に入れてポストに投函した。

 時間軸を持たせるために、ここに記しておこう。郵便物の精読と書類への記入をしたのが今月10日、ポストへの投函は翌日の11日である。ポストに投函した日から、6日経ったが、通知や郵便物はない。やはり、時間がかかるのだろう。

 ここでもう少し、10日のことについて触れておく。書類への記入は、特段難しいことはなかった。氏名と住所、所属がメインの内容であり、他はアンケート的な内容になっていた。ひとつ迷ったところは4択だろうか。しかし、この4択の詳細を明らかにしてしまうと、今なにをしているのかが知れてしまうため、今回は伏せておく。書類への記入を連呼しているが、もうひとつやるべきことがあった。それは、身分証の印刷だ。身分証になり得るものはいくつかある。その内の2つをプリントアウトし、書類と併せて封筒に入れた。

 今回もかなり抽象的な文言が並んでいて、読む必要があるのか甚だ疑問だ。とはいえ、読む人間が一人いるか否かの状況であるため、気にすることもないだろう。未だ何をしているのか明かさないのは、明かす段階にないからである。もう少し事が進んだ時に、これについては、はっきりと示すことにする。

事々は遅々として着々

第1講 D-1

 一週間が経過したが、進展はほとんどない。ひとつ挙げるならば、郵便物が届いたことである。これが来たのは、4月7日木曜日、このために申し込みをしたのは、先週、4月1日金曜日のことである。ちょうど一週間だ。長いのか、短いのか、見当はつかない。

 これの読者が1人いるか否かの現状で、何を書き記しても影響が微塵しかない。微塵だけでも「ある」ことが奇跡的だといえる。つまり、何が言いたのか。それは、情報をどこまでここに書き残してよいのか、ということだ。

 前回、前々回から、何をしているのか、何をしようとしているのか、その根本的な部分については全くと言ってよいほど伏せてある。無論、隠そうとしているわけではなく、素直に、分からないままでいるというのが正確なところだ。

 しかしながら、ただ思考をそのまま文章化し、まとまりのない「言葉」の集まりを公開するわけにはいかない。それは、昨年度まで記してきた「言葉とは何か」で触れた「言葉」の意義を逸脱する行いだからである。そのため、真価は分からずとも、価値ある「言葉」を残すべきなのだ。

 さて、郵便物が今月7日に届いた。次やるべきことは、この郵便物を読み、必要事項を記入してポストに投函する。以上だ。

 

事あるごとに事がでる

 なぜ、『第4講』ではないのか。それは、年度が替わったからである。ただそれだけだ。ちなみに、「D-1」の方は、昨年度からの通し番号である。