第3講 H-8
コロナ感染から一週間、ほとんど回復したのは良いのだが、いまだに晴れ晴れとしない感覚が残っている。きっとこれはいつものことだろう。株式投資の本編とは無関係の内容のため、これについてはここまでにしておく。
○記録(8月22日-26日)
22日 医薬品 1,110円 100株 買 (111,000円)
22日 電気機器 1,635円 100株 買 (163,500円)
22日 情報・通信 3,780円 100株 買 (378,000円)
24日 鉱業 1,595円 100株 買 (159,500円)
25日 金属製品 1,920円 100株 売 (192,000円)▼5,000円
26日 小売業 2,870円 100株 買 (287,000円)
○評価
25日の金属製品は、売った翌日の26日に値を上げた。この一日の差が、損失となるか利益となるかの違いになった。とはいえ、売ったタイミングが悪かったとは思わない。むしろ、この銘柄に関しては、買うタイミングに判断の誤りがあったのだ。
これは買う銘柄全般に言えることだろう。重要なのは売るタイミングより買うタイミングであり、利益を確定するタイミングより損失を判断するタイミングである。
今月に入り4週間。週を重ねるごとに株式投資に費やす時間が減っている。時間を使えばよいというわけではないが、体調不良でできなかったことは想定外の現実だ。
最近の諸事
今回は株式投資からは距離をとり、日常のことを少しばかり記す。
われわれは生きている。これは疑いようのない事実だ。しかし、多くの人はこの事実を自覚していない、自覚できていない。なぜなら、生きていることは当たり前だから、当たり前だと思い込んでいるから。
生きることと向き合う。生きることの本質と向き合う。それは、食事であり睡眠である。さて、どれだけの人が生きる本質、つまり食事と睡眠に対して思考を廻らしているだろうか。その思考を具体的行動として体現しているのだろうか。或いは、食事と睡眠にどれほど深く向き合っているだろうか。
生きることを忘却し、日常の有難さが当たり前だと誤認している人々。人に与えられた思考という行為は、最大限に最小限の生きるを体現するための行為である。
時に人は、病を患ったときに生きることを考えるきっかけを得る。なぜなら、病は生きる当たり前にはないからだ。異質なときに常態が分かる。