知られることがない
まずもって、この記事を読む者がいるだろうか
それ以前に、この記事を知る者がいるだろうか
そう思ったのである
知られる方法がない、つまりは知られることがないということ
現実、初心者には厳しい
名前
これには『常自語』と名が付されている
意味はそのままだ
一応、説明しておくと「隙自語」を変形させただけの単純なものである
さらに、これの名だけではなく、凡人にも名前が必要になった
前の記事を一読してもらえばわかるが、一貫して「凡人」と名乗っていた
これでは固有名詞とならないし、分かりにくいだろう
そのため名を考えていた、そして決まった
名は「天无」である
読みは「てん」だ
もちろん意味があるのだが、今回は伏せておくことにしよう
第1講 S-1
前回の記事で既に書いたように、『常自語』には「思索」を記していく
今回はその準備として、「言葉とは何か」をほんのひと摘み書くとする
言葉とは人間のみに与えられたものである。この一文からいくつかの疑問が生じる。なぜ人ではなく人間なのか、なぜ作ったものではなく与えられたものなのか。「思索」であるため、主観を拠り所として書くことは多々あるし、むしろ客観など微々たる量だ。人と人間の違い、また、作ったものと与えられたものの線引き、まずはこの2つを明らかにする必要がある。しかし、どうやら字数がほとんど残されていない。これは、前回の記事で600文字と決めたためだ。次回に持ち越す。