言葉を組み立てること

第3講 C-8

 ここに何を記すべきであろうか。甚だ疑問である。『第1講』と『第2講』で今まで考えてきた「言葉」に対する捉え方は、概ね説明してしまったように思う。しかし、「言葉」はそう容易く理解できるものではないし、浅薄なものでもない。ここは一つ、日本語の特徴とでも言うべき事柄を抽出してみるとする。

 日本語は文末に最後の主張がある。上の段落の各文を例にしよう。「(あろう)か」は疑問であり、「思う」は意思であり、「ない」は否定であり、「する」は動作である。文章をどれだけ引き延ばしても、結局、文末の表現によって一文は大きく変化するのだ。

 例えとして、上述された「概ね説明してしまったように思う」を挙げる。まず、「概ね説明した」とすれば、「説明した」で動作の完了を示している。次に、「概ね説明してしまった」では、同じく動作ではあるが、動作の終了を示している。ここで、完了と終了の違いをはっきりさせる必要があるが、今は飛ばすとしよう。そして、「概ね説明してしまったよう」となると、判断しかねるかもしれないが、不確定な断定として、一応の断定を示している。最後に、「概ね説明してしまったように思う」は、上の段落にある通り、意思を示している。

 ここまででも、日本語に関する文末表現、また、文末の主張が如何に重要かが窺える。「言葉」とは何か、「言葉」を「知る」こと、は母国語にこそ焦点を当てて、考えるべきなのだ。