断定と意思の文末表現

第3講 C-9

 前回、日本語に関する文末表現の一端について触れた。今回はその続きである。

 「断定」と「意思」。この2つは相反する言葉ではないが、意味としては離れた位置にある。「断定」は、常体の「だ」「である」と敬体の「です」「ます」に代表される表現だ。事実として決める、物事にはっきりとした判断をくだすことであり、ここに個人の主観が介入することはない。一方の「意思」は、何かをするときの考えや心持ちであり、個人あるいは集団の主観が多分に介入する。文末表現としては「思う」「考える」「したい」「しよう」などがある。

 明確に峻別できる「断定」と「意思」であるが「意思」はしばしば、「断定」を避けた表現として用いられる。「断定」つまり判断をくだすことが憚れるとき、難しいとき、さらに、その時期を先送りしたいときに「思う」や「したい」などとある種のあいまいな表現を使う。さらに言えば、「したいと思う」などと発言し、その明確さを一段と欠いた表現さえあるのだ。

 前回の最後の段落に記した「文末の主張が如何に重要か」は、日本語における表現の特徴であり、発話者の言わんとしていることを最も端的に捉えることができる部分だ。その言葉が「断定」であるか「意思」であるかによって、発話者の思考がよく分かるであろう。

 

 今回も、あまり内容がまとまっておらず、拙い文章になってしまった。

 言葉を増やすことで失う言葉もあると感じる。