具体と抽象から抽象度

第2講 C-5

 前々回から話している「既知の説明文を集約する未知の言葉を知ったとき」が飛躍し、「言葉」の派生について説明をしていた。前回の後半を端的に言えば、抽象度の高い「言葉」は具象化される「言葉」を内在し、具象化された「言葉」は抽象度を高くすることができる、である。これについて詳しく述べよう。

 そもそも「抽象度」とは何であろうか。検索すると幾つかの結果が出るが、どれも似たようなことを記している。検索などしなくとも、「抽象度」を分解すれば「抽象」と「度(合)」となり、想像は容易くできる。以降は、「度」を「度合」として扱うことにする。では、「抽象」と「度合」それぞれの言葉の意味は何であろうか。これについては、『第2講 S-11』辺りで説明したように、「言葉」を「言葉」で説明する以上は果てのない作業が必要だ。そのため、個々人が認識している理解に委ねるしかない。

 さて、「抽象度」は「抽象」の「度合」である。前回の鏡もこの一例にはなるが、別の例を提示する。「筆記具」を挙げよう。これには、鉛筆、ペン、チョーク、筆などがある。さらに、鉛筆は黒鉛筆と色鉛筆、ペンはボールペン、シャープペンシル、サインペン、万年筆などがある。加えて、ボールペンであれば油性や水性、ゲルインキなどと、細かく分類される。これはシャープペンシルなども同様だ。

 全くもってまとまりのない文章であるため、次回を期すとしよう。