「全ては既に在る」のあらまし

第1講 S-6

  「全ては既に在る」は、その字ずらの通り一切は在るのである。まず、過去をみることにしよう。宇宙はなかった、地球はなかった、生命はなかった、人間はなかった。加えて、概念はなかった、言葉はなかった、学問はなかった。つまり、全てにおいて「無」の状態である。次に、現在をみることにしよう。具体例は示さないが、まだ「ない」とされる事物が数多くある。しかしそれは、まだ「ない」という点においてないだけであり、存在としては既に在るのだ。

 この思考を文書表現だけに頼って説明することは、難しい。事実、これだけでは、何を言わんとしているのか、ほどんど知ることができないだろう。図示をする方法はある。だが、言葉に頼らせてほしい。なぜなら、「言葉とは何か」について書いているからである。

 理解が追い付かなくなるため、再度、論点を確認する。「人間が作ったものは存在しない」、これは「全ては既に在る」ことが根底にある。では、「人間が作ったもの」には何があるか。建築物、自動車、電化製品などは視覚的に分かりやすい。概念、社会、制度なども認知できるだろう。しかし、これら一切は、「人間が作る」以前に既に在ったのだ。つまり、人間はそれらを「発見した」にすぎない。文明の発達、文明の開化は、「発明」の連続ではなく「発見」の連続であった。

 

 この「全ては既に在る」は、説明にもう少し言葉を要する。次回もこの論点を軸にする。