辞典には欠陥がある

第2講 S-11

 前回の内容理解を深めるために、「知は言葉に集約される」についてさらに説明を加える。学校、とくに小学校(初等教育)と中学校・高等学校(中等教育)では、教科・科目によって定まった教育がなされる。提示した以上、学校や教育について深く述べるべきであるが、割愛させてもらう。重要なのはその教育の多くが「知」、すなわち「言葉」であるということだ。或いは連結させて、「言葉」を「知る」ことにある、ということである。では、「言葉」を「知る」とは何であるか。

 例えば、明日。辞典による説明は、「1.今日の次の日。2.近い将来。」とある。こんなものは、調べずとも感覚で分かっているであろう。ここでもし、明日を知らない人間にこの辞書的な説明をした場合、分かってくれるであろうか。或いは、この説明の1.のみを取り上げて考えるに「今日」「次」「日」を知らなければ分かるはずがない。そこで「今日」を辞典で引くと、「1.今過ごしている、この日。2.その日と同じ日付や曜日の日。」と記載されている。では「次」を引くと、「すぐあとに続くこと。」とあり、「日」は「日の出から日没までの間。」とある。本来であれば、この作業を繰り返すことが要求される。しかし、既に分かっているだろうが実に果てしない。それなのに人間は「言葉」を知っている。

 ここから考えられることは、「言葉」以外で「言葉」を理解しているということだ。