主張を主張で主張する

第2講 C-7

 この『第2講』では、主に2つのことについて記してきた。1つは「知は言葉に集約される」であり、もう1つは「「言葉」を「知る」」過程についてである。

 「知は言葉に集約される」では、言葉を説明するためには、言葉が必要であることを大前提として、『言葉を言葉で集約する』と少々改まった主張もなされた。「「言葉」を「知る」」過程では、「未知」を「既知」にする具体的方法として3つを提示した。

 まず「未知の言葉とその意味を知ったとき」、次に「未知の言葉の新しい意味を知ったとき」、そして「既知の説明文を集約する未知の言葉を知ったとき」の3つである。このそれぞれの内容は、今までの記事を一読すれば解ることであろう。

 ここで一点、不完全さが露見したため、これを説明しておく。『第2講 S-13』で、〈「「言葉」を「知る」」その過程について記す。そもそも、未知を既知にする方法は3つある〉と明記した。しかし、これでは「「言葉」を「知る」」過程を解説できていないのだ。ある種、訂正になるが、未知を既知にする方法は「「言葉」を「知る」」過程の換言であるとの認識だ。これによって、両者が一致の内容として成り立つ。

 新たな発言もあったが、『第2講』についてのまとめは以上である。『第1講』では「言葉」とは何かを大まかに捉え、『第2講』では「知る」ことが加わった。しかし、「言葉」とは何かが主題であることは不変だ。