第5講 C-7
紛うことなく生きている現在に、われわれは何を感じ何を思うのか。そして、現在そのものが疑問だと知るだろうか。生きる根本は何であろう。
ただ日々を繰り返す。この「ただ」が重要なのだ。生きるとは、半ば繰り返すことだろう。繰り返すとは、およそ日常であろう。
○記録(2月13日-17日)
13日 ▼15,300円 (買2、売1)
14日 △19,000円 (買0、売1)
週間結果 △3,700円 2月の合計 △4,800円
保有株式 銘柄数2、株数800株と300株、損益合計60,600円
○評価
損失を出したのは日計をした結果である。ここ数週間にわたって明記しているが、日計に取り組みたいのであれば、まず環境を整えるべきだ。この議論から進展していないことが、怠惰の象徴としてあらわれている。この「環境を整える」ができるまで、日計を禁止とする。これは決定事項だ。
現在保有している銘柄のうち、一方は損失である。ストップ高まで上昇し、大引けはそこから下落して着地する。この動きを2日連続した。さて、ならば、ストップ高の段階で100株でも売っておくべきだったのだろうか。
ここで一つ考えるべきは、一つの銘柄の動きや方法を、他銘柄に転用してはいけないということだ。一つの銘柄が動いたように他の銘柄が動くなど、まずありえない。高望みはせず、着実にプラスを重ねる。
前に確認したところ、損失で確定した金額が利益のそれよりも数割高いことに気づいた。つまり、利益は細かく得ようとしている一方で、損失は個々が大きなものとなっているのだ。これは逆にするべきだろう。損失には早くけりをつける。利益はじりじりと上昇するのに耐えて多少大きく得る。
これからの課題は、損切の早さといえよう。
お金と向き合う
株式投資とは、お金でお金を得る行為である。さて、人生においていくらお金があれば満足するであろう。2億円だろうか、10億円だろうか、それ以上か。考えれば切りがないし、得られるのであれば得られるだけ得たいと思うのが大半の人々であると推測する。しかしここで、人生がお金でないことも確かだ。なぜなら、富豪とよばれる人々はお金に執着しないからである。
人生はお金ではない、ただし、人生にお金は必要である。これが現代社会だ。「お金は必要」だが、「どれだけ必要か」については、まだまだ議論の余地がある。