自然の在り方を見つめ

第6講 D-2

 気楽にいこう。別に陽気であれとは言わないし、明るく振舞う必要もない。ただ、今に安住すること、少し先のことに思いをはせること。この思いの中で楽しみもあれば不安もある。それでも、結果としては楽しくできる、気楽にできると考えること。もはや思い込みでもいい。

 実は、不安なんてないんだ。

○記録(4月10日-14日)

14日 △70,000円 (買1、売1)

週間結果 △70,000円   今月の合計 △70,000円

保有株式 銘柄数1、株数1,100、損益合計△5,500円

○評価

 長いこと保有していた銘柄を売った。日付を確認するとちょうど一か月間保有していた。結果は7万円の利益だが、それ以上に利益が出ているタイミングもあった。売るタイミング。おそらく上髭の長い陰線は注意なのかもしれない。この「上髭の長い陰線」がどの程度の上髭か、どの程度のローソクなのかは不明確だが、感覚としてこのローソク足は注意ということだけは認識しておく。

 新たに保有している銘柄は、本当は1,200株買いたかったのだが、株価が上昇してしまい買うことができなかった。とはいえ、1,100株買えただけでも良いだろう。

 今後、この銘柄がどうなるのかは分からないが、売りのタイミングとして上述した「上髭の長い陰線」には注意すべきだろう。また、陰線が2日連続で続いた場合も注意だ。昨日、売った銘柄も2日連続の陰線になるだろうと予想し、これを一因にして売ることにした。他にも理由はある。例えば、これ以上に上昇が期待できる銘柄がある、そろそろ下火になるのではないか、などだ。

とある動画を見て

 このようなことにあまり触れたくないのだが、複数の衝撃を受けたため書くことにする。

 人は人の死を見るとき自分の死と生を考える。人が死ぬのは自然だ。生物だから、生は死と共にあり、死もまた生と共にある。だから、人が死ぬのは当然だ。

 しかし、自死はどうだろうか。それ以前に、子が親よりも死を支を迎えることについてはどうだろうか。これは間違いだと思う。かつて、とある人物が「親死子死孫死」と一筆したという逸話がある。人が死ぬことは当然だ。ならば、その順番と理由が大事であろう。

 順番は、上述した通り「親死子死孫死」がもっとも自然だと思う。

 理由については、いつか記すとしよう。