人は受け身に流される

第9講 H-11

 人は受け身に流される。つまり、何かを生産するよりも消費する方に進んでしまうのだ。なぜなら、楽だから、考えなくてよいから。そのようにして、コンテンツの場合は、生産量を圧倒的に上回る消費がなされているのだろう。コンテンツというのは、音声や映像などの作品、あるいはゲームなどを指す。ここで、具体例は出すまでもないだろう。

 生産されたコンテンツは、食品や日用品とは異なり、消費してもなくなることがない。ゆえに、何度でも繰り返し消費、つまり、使われるのである。

 本題に戻ろう。人は受け身に流される。受け身は、消費のことだが、消費はお金を支払う側なのだ。逆説的に、お金を受取る側は生産する方である。これ以上は、言わずもがなであろう。

 今回はかなりの短文で、しかも、内容は単純であるが、ここまでにしておく。