定義することについて

第15講 H-3

 Bの存在を明らかにしたが、Bの内容についてはまったく触れていない。それにはいくつか理由がある。その中でも、定義の難しさが多くを占める。定義には2種類ある。ひとつは、辞典や事典にかかれている一般的、抽象的な意味である。日常で使われる、日常の会話やコミュニケーションにおいては、この意味で事足りるであろう。そもそも、多くの人が日常の会話でそこまで考えているわけではない。意味の意味を見る必要はなく、互いの共通認識があれば、しかも抽象的な意味さえあれば会話は成り立つ。一方で、もうひとつの意味である個別的、具体的な意味は、先ほどの一般的、抽象的意味に付加されたものである。つまり、個々人がさらに意味の解釈を広げて、意味の再定義を行ったものがこれにあたる。

 ここで具体的な例示をすれば、より分かりやすくなるのだろうが、そこまでの技量がないためしないでおく。

 補足的な説明として、個別的、具体的な意味が一般的、抽象的な意味へと変質することがある。これには長い時間とその言語を用いる共同体での認識の変化が必要だ。しかし、このような事態が起こることは珍しいことではない。いま日常で使われている言葉の多くも、もとは辞書に書かれているものではなかったし、定義すらされていなかった。今後、このBが、あるいはB主義やB社会が辞書的な意味として定義されるかは、つまりは、一般的、抽象的な意味となり人々に多く知られることになるのかは分からない。ただ、そのための一助をする気はある。

 今回も全然進まなかったが、前回の続きとして汲み取れるだろう。